エッセイ
第5部 障害について
アスペルガー。
私はその病名を受け入れなければならなかった。
受け入れ、その病気をきちんと把握し対策を練って立ち向かわねばならなかったのだ。
でもうつ病がかなり進行していて自分では歩けないようになっていた。
気がつけば私は病室に居た。
まず私のこの状態を完治しなければならなかったようだ。
入院中の自宅の様子は一切聞かされずただ毎日眠れぬ日々を過ごした。
通常の精神状態ならば自分よりも先に家族の事を考えられただろう。
でも私は何も考えられない抜け殻だった。
廃人になっていた。
うつ病との闘いは1年かかった。
入退院を繰り返し1年の時間をかけてようやく周囲に目がいくようになった。
1年といっても1年で完治した訳ではない。
1年でやっと自分の頭が起動しだしただけの事だ。
恥ずかしい話だけれどその1年の記憶は全くない。
自分が何処で何をしていたかも・・・
→私が伝え聞いた話では私の入院中は私の母が夕飯を作りに来ていてくれたそうだ。
調味料の場所も知らないキッチンで料理を作るのはかなり大変だっただろう。
母は誰よりも私や孫達を案じ、手助けしてくれた。
夫は会社に深刻な事態を告げ早く帰宅していてくれたらしい。
夫にどんなだった、と尋ねても夫は「別に」と言うだけだった。
夫は強かった。
今までの私の試練を共有する事で私の病気が良くなると信じてくれていたのだと思う。
私の状態が回復するにしたがって以前の生活が少しずつ戻ってきた。
私が本来しなくてはいけない母親を再開したのだ。
私が空けた穴は大きかった。
とてつもなく大きかった。
子供達は1人でトイレに行けなくなっていた。
トイレの度に家事を中断して連れて行った。
長男の状態もかなり悪くなっていた
→私はうつ病を抱えながら長男と真剣に向き合う決心をした。
そして長男の奇声に怯えている次男の心のケアもしたかった。
私がようやく退院した頃友達から電話がかかって来た。
労いの電話だったのだろう。
友達は私に
「あなたしか育てられないから神様はあなたの元へ長男を授けてくれた」と言った。
そして「脳性麻痺の子の親はもっと大変だ」とも言った。
私は一応相槌を打った。
でももし自分が私の立場ならどうするのか?
そんな事を言えるのか?
「この子は私しか育てられないのよ」と。
だいたい他の病気と比べるなんておかしいのではないか?
誰が幸せで誰が不幸だなんて障害者を見下しているだけではないか?
とかくこの世は住みにくい。
よく言ったものだ。
全くそう思う。
何故障害でも周りから理解される障害と理解されない障害があるのだろう。
目に見える障害と目に見えない障害。
アスペルガーは特に知能的には遅れがないのでクラスのお騒がせ者、暴れん坊、わがままだと思われるケースが多い。
残念ながら・・・
第6部へつづく
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